履歴書:海外へ、留学まで

外国に興味をもったのは、やっぱり音楽の影響でしょうか。父の影響でビートルズとか英語の歌を聴くのが好きでした。小学生でまだ英語習う前から、歌詞カードの英語をひたすら書き写して、どうやって発音するんだろうと興味シンシンでした。

おかげで、高校までずっと英語は得意科目でした。学校の定期テストや大学入試では、特別英語の猛勉強した覚えがありません。なにせ、英語は普段から猛勉強してたので、テスト対策は不要だったようです。

しかし、かなり貧乏だったので、大学へはそもそも行けるとも思ってませんでした。学校の勉強に嫌気がさしてたのもあり、進学はあまり興味なかったです。でも奨学金が受けられるという話があり、それならばと大学へ進学することにしました。

大学は外国学部の英米語学科の国際関係コースに決めました。英語を勉強するというより、外国の政治経済や歴史について学ぶとゆうコースです。実際、英語を教えてもらうという授業はほとんどなく、そのかわり政治経済や歴史の勉強の教科書が英語でした。よって英語は当然のように自分で勉強しなさい、とゆう感じです。ただし音声学(発音)の授業だけはありましたね。これはなかなか自力では難しいからでしょう。この音声学の先生がブリティッシュ英語専門だったので、私の英語も英国なまりがあるかもしれません。

この時期に本格的に外国カブれになったのだと思います。色んな国のことを見聞きしているうちに実際に行ってみたいと思うのは自然なことだと思います。英語も得意なので、試してみたいってのもあったかもしれません。事実、ほとんどのクラスメイトが暇を見つけては海外に飛びまくる人達でした。

海外にはあちこち行きました。大学4年間で二十数ヶ国行ったと思います。ほとんど一人旅でしたが、パキスタンだけはボランティア団体のメンバーとして行きました。クラスメイトの姉が医師で、誘われたのです。

パキスタンでは医師のサポート(血圧シュコシュコ測るとか簡単なの)や簡単な通訳、それから調査のお手伝いをしました。場所は、パキスタンとインドの紛争地帯で、後に逃亡中のウサマビンラディンが潜んでると噂になった山岳地帯です。世界で2番目に高い山、K2の麓です。
ちなみに現在は外国人は入るとこは出来ない危険地域に指定されているはずです。関係ないですが、ナウシカの「風の谷」のモデル地にほど近くて、あんな風景です。また後にタリバーンに日本人が拉致殺害された場所からも割と近いです。
今考えるとなかなかハードな地帯ですが、当時はあまり深く考えておりませんでした。若さゆえですね。

ここでは色々と貴重な体験をしました。冒険や刺激的というレベルではなく、まさに生き死にを見ました。詳細は機会があれば、別途お話したいところです。私自身も危ないこともありました。4、5才の可愛い盛りの子どもが、ウジ虫にまみれながら私の腕の中で息をひきとることもありました。冷たくなりつつある体をつたってヒョコヒョコとウジ虫が私の腕を登ってくる様は今でも忘れられません。大学3年生でちょうど20才の時です。

ここに来て、ようやく自分の怠惰な学生生活を反省しました。もっと勉強しなければと、ようやく思うようになりました。途上国のことを勉強するために、英国に行こうと思うようになります。ちなみに英国は旧植民地が多いので、途上国の研究が盛んに行われています。

ちょうど私の大学では交換留学生を募集しており、その中に英国の大学もありました。交換留学は日本の大学から海外の各大学へ1名ずつ派遣されるもので、学内で選抜試験や面接があります。

選抜が進むにつれて、カナダやオーストラリアの大学だと学費は大学が負担するとゆうおいしい話も何度か頂きましたが、面接で英国へ行かなければならない理由を力説し(もちろん英語で)、お断りしました。海外に留学したいとゆう夢より、しなければならないという使命感に近いものがありました。

あまりに熱く語る様が伝わったようで、外務省の留学奨学金に推薦がもらえる幸運もありました。これは私の大学では初めてで、対象は私の大学からの全留学生のうち私1名だったようです。ざっくり言うと、100万円ほどを無償で頂けるとこになったのです(!)。ラッキー。

長くなりましたので、今回はここまで。
以上です。